私の名前はジロギン。

HUNTER×HUNTERなどの漫画考察や、怪談・オカルト・都市伝説の考察、短編小説、裁判傍聴のレポートなどを書いている趣味ブログです!

人生が80年もある理由

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先日書いたこの記事

 

 

 

 

私は度重なる社長とのいざこざの後、会社に行きながらも実質仕事がない状態が続いていましたが、先日何とか新しい配属先が決まりました。


私は新卒として入社してからの約1年3ヶ月間で3つの事業を渡り歩くことになりました。
今回の異動で4つ目です。新卒からということを考えると比較的多いのではないかと思います。


私はよく人から「着眼点が面白い」でしたり「アイデアが面白い」でしたりと言われることがあります。
社長もそれを分かっていたようで、私のこういった部分を活かして何とか新しい事業を成功させようとしていたようです。
それほど大きくない会社ですので、ラッキーパンチでもいいから一発ヒットが欲しかったみたいです。


しかし、私は正直「熱意持って仕事をする」というタイプではないので、仕事中に長所を活かそうという気はほとんどありません。
私の長所が活かされるタイミングは何気ない飲み会の時やプライベートで人と話している時など仕事以外の時です。
というより、私の長所は飲み会や人との会話の中で培った側面が強いので、正直仕事向きではないと自覚しています。
だったらブログの方が活かせる気がします。
自分の長所を発揮できて、多くの方が喜んでくださる。幸せだなぁ~。


ってば感じで私は社長の期待をある意味裏切り続けているのです。
まさに仕事に対する意識の相違が生んだ必然的裏切り!

 

 


適材適所~tekizai-tekisyo~
という言葉がありますね。
これは「その人の能力や経験を正しく評価して、その人に合った地位や役割に就けると良いですよ」というような意味です。
私は会社では3つの事業間を異動となりましたが(最初の事業から2つ目の事業へは半ば強制的な異動で、最初の事業では結構成績上げられていたんですけどね…)、
適所と言えるところはなかった………ということでしょうね。
そしてまた、そう簡単に自分の適所なんて見つかるものではないなと思いました。


例えば、今こうして頑張ってるブログ。
厳密にいうとブログを始めて書いたのは今から2年ほど前で、私が21歳の時でした。
それまでブログなんて書いたこともなかったですが、今ではかなりブログにはまっています。
しかもブログってどちらかというと嫌いだったんですよ。


「自分の日記をネットにさらすなんて何を考えとるんじゃ!!」


と思っていたくらいですからね。今じゃさらしまくってますけど。


また2年前にブログを始めてから、当ブログを始めるまでに、どれくらいでしょうね…20以上ブログを作っては消しを繰り返しています。
今のところ私の適所といえる当ブログにたどり着くまでに、生まれてから23年、20以上のブログを費やしたということになります。
23年ですよ。そこそこ広めの森林が出来上がってしまうくらいの時間かけてようやく私の適所が見つかりました。

 


いや、当ブログが私の適所とも限りません。
当ブログをきっかけに派生して始めたことが意外にも自分にマッチしていて、適所となるかもしれませんし、
将来もっと自分にマッチした何かを見つけ出すなんていうことがあるかもしれません。
何でしょうね、囲碁とか、トランプ投げとか、牛飼いとか…
当ブログを適所と断定するのは早いかもしれません。

 

私自身とりあえず今の適所と言える当ブログを見つけ出すまでに実質23年の歳月をかけているわけです。
出会ってまだ1年そこらの社長に私の適所が見抜けるわけがないですし、見抜かれたら自分の底の浅さに愕然としてしまいます。
うん、逆の意味で見抜かれなくてよかったです。
適材適所って一言で簡単に言いますが、そう簡単に見つけ出せるものではないんだろうなと思います。


だからこそ人間って80年とか90年という長い寿命をもっているんだろうなとも思いました。
80年以上生きる生き物ってかなり少ないです。
犬とか猫も15~20年くらいが一般的ですし、馬も牛も80年は生きないと思います。
たしかワニとかオウムとかは70年くらい生きるそうで、ほぼ人間と大差ないとか。
もちろんゾウガメなどは軽く100年以上生きるそうですが、やはり80年以上生きる生き物はかなり珍しいです。

 

人間に長い寿命が与えられているのは、それだけ適所を見つけ出せる時間が与えられているということかもしれませんよね。
色んな趣味に挑戦したり、仕事を変えて見たり、たくさんの人と出会ったり、そのための時間が80年という寿命なのではないでしょうか?
それだけ人間は個性的だとも言えます。人それぞれはもちろん個性的だし、一人の人にもいろんな側面があります。
自分自身の中にも多様な個性があって、自分以外にも多様な個性がある。
その自分と他人の個性が結びついたときにこそ「適所」が見つかるような気がします。
膨大な個性同士の結びつきの中から本当の適所を見つけ出すには、膨大な時間が必要ですよね。

 

逆に考えると、個性のない生き物ほど寿命が短いかもしれません。
食べて寝て繁殖する、それが全てとなってしまう生き物は、適所も何もない為、寿命も短い気がします。
現に人間も、昔は寿命が現在よりも短かったわけで、人間の多くは労働力として見られ、個性を潰すような考え方が一般的でした。
医療技術の進歩など、単純にそれだけでは言い表せない部分もありますが、
個性が重視されないと、命の長さも重視されないのかなと思います。
…まぁクラゲの一種で、細胞分裂を繰り返すことで、同じ個体が転生を繰り返し、
実質的に無限に生き続けられるクラゲもいるそうで。クラゲの一生も単純作業ですけど…ほら、例外はありますよ何事も。

 

 

 

 

 

でも、80年って足りないですよね!!!!
個性なんて数えきれないほどあります!!!
星の数…より多いんじゃないですかね30個くらい。
そこから自分の適所を探し出すなんて、80年あってもできませんよ。
毎日自分の適所を探すわけにもいきませんし。風邪で動けない日とかもありますし。
何より、まさに自分の適所なんて分かるはずもない会社の上層部の指示のもと毎日のように労働し、自分の適所になんてたどり着けないまま80年の大半を費やしてしまうでしょう。
そういう人の方が世の中多いのではないかと思います。


確かに会社で働くというのは、誰かのためにはなっているかもしれませ。
会社のサービスを利用してくださっているお客様、部下の働きを期待している上司、
稼ぎを待っている家族。
自分の働きで誰かが幸せにはなっています。


でも、自分は幸せでしょうか…?
誰かのためになることが幸せという人は、それが適所の人だけです。
多くの人がそうであるかといえば違うと思います。

 

 


あ~いやだなぁって思います。
人の幸せは考えなければなりませんが、
自分が幸せになれないってのは心底いやだなぁ~と思います。
何のための自分の人生かわからなくなってしまいますよ。

 

 

 

今の環境が自分に合っていないと感じる人は、適所ではないからです。
働くのがつらいとか、人間関係がつらいっていうのはもちろんですが、
今やっていることに違和感を感じるならば、適所ではないです。
自分に与えられた寿命をうまく使うには、「これは違うな」と感じたら、また別のことに挑戦したほうがいいかもしれません。
かくいう私も未だ適所を見つけられたとは言えない人間。
このまま迷走して死ぬかもしれません。
忍耐の末に適所を見つけられるかもしれませんが、退く勇気ってのも大切じゃないかと思いますよ。

 

適所を見つけるために与えられた80年。
これをどう使うかは自分次第です。
無駄遣いを許すための80年ですけど、80年全部無駄にはしたくないなぁ~。

 

 

 

 

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